注意
これは自分のためのはきだめ。
最悪だ。
どうして読んでしまったのだろうと後悔しても遅い。素晴らしい作品だ。だからこそ、最悪だ。
本当はこんな感想、書きたくない。そもそも同人の原稿〆切まで1週間を切ろうとしている今、こんなものを書いている時間があるならさっさと原稿をしろという話である。分かっている。
本当に、最悪だ。
でも、この感想を書かなければ、私はきっと何も書けない。この作品を消化できずに引きずられた精神のまま、ぐちゃぐちゃと思い悩んで……落ち込むのだ。精神の作りが人より脆弱に出来ている人間にとって、この作品は最悪という言葉以外の何ものでもない。泳ぐのをやめたら死んでしまうマグロにとって、まるで優雅に泳ぐクジラがにくいのと同じように。
別に、こうやって打ちのめされるのは初めてではない。これまで人生の日数を軽く超えるほどの本は読んでいて、そのいくつもに叩きのめされてきた。そしてそのたびに、こうして書いてきた。
何かを――特に物語を紡ぐ人間にとって、他者の作品は良くも悪くも得体のしれない自生したきのこだ。誰もいない森の中で生きていくには、食わねばならぬ。食って当たり死ぬ思いをすることもある。私は物語を書くというサバイバルにおいて貧弱であり、何度も何度も当たっては死ぬ思いで、時には本当に死んでやろうとまでしてきた。(まあ、見てのとおり今命汚く生き残り続けて、性懲りもなく書き続けているわけだが。)
人が同じ作品を見てやる気を出したり、元気になっているのを見て、どうしてそうなれるのかと考える。ゴミ溜めの部屋の中、あちこちにうず高く積まれた本をひっくり返して叫びながら知ろうともがく。でもわからない。きっとみんな、作品を解毒して咀嚼する方法を知っているのだ。それはすなわちみんな火を使う知能を持ったヒトということで、火を利用しようとする知能も勇気も覚悟もない私はサルでしかないということにほかならない。そうしてまた落ち込む。
いつしか、美しいと思うものにはきっと毒があるのだと、小さな脳みそが理解する。「コレは美しい。きっと毒に違いないから、食べないほうがいい」本能が警告を発するまでに刷り込まれた善意の恐怖を、何故か私は気づかないふりをしてページをめくる。そうして、……性懲りもなく、落ち込む。
書いても、書いても、書いても、書いても、届かない。運動神経すら悪いこの体は、己の身の丈ほどしか伸び上がれずに、またきのこを見つけて地を這う。ああもう、本当に、最悪だ。
嫌だ。いやだ。もう書きたくない。ずっとそう言っている。書きたくない。もうやめたい。私はどうしたって美しいきのこを生み出せない。マグロはひっくり返ってもクジラにはなれない。何度も、何度も、傷口に塩をすり込むように教え込まれている。今、この瞬間も。
書かないと死んでしまう自分が嫌だ。書かずにいられない自分が嫌だ。汚いものしか生み出せない自分が嫌だ。書いても、書いても書いても書いても目の前の美しいものを糧に出来ない自分が嫌だ。
それでも、美しいものには手を伸ばしたい。偉大だと思うものの前では、呼吸を忘れて止まってしまう。悲しいかな、目の前のことに筆を取らずにいられないのが自分だ。確立してしまった生き方だ。
この作品の伏線や、視差効果や、細かいことはきっとさまざまな人が書いてくれている。私が気づかなかったことまで、つぶさにみんなが見ている。
私は、私が人よりも確実にわかるのは、人の世ではない森の中で生きるということだけだ。優雅に泳ぐそれが同じ水の――いや、もっと、何千倍もの――抵抗を受けてなおそこで生きているということだけだ。
ああ、いやだ。
私にある選択肢は、結局書くことしかない。