胡乱な物置

自分のため。感想考察とにかく長文書き散らし

華Doll* THE STAGE -Another Universe- Part1 Part2 感想

www.hanadoll-stage.com

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 まずは、華STが千秋楽まで完走したことに感謝をしたい。

 コロナ禍が明けたと言われる中でも、インフルエンザの流行含め数字としては感染者が下がっていない状況で、すべての舞台が完走できる状況にはまだない。楽しみにしていた舞台がいくつか直前で公演中止になったり、好きな出演者が出られなくなった知り合いを見ているだけに、SNSで華STのことを楽しみにしている人を見るたびそれを願わずにはいられなかった。

 私は観劇できていないが、特別公演で出演できなくなったアンサンブルさんの代わりに演出家の方が代役を務めたという話を見て、カンパニーの団結や絆も見られる良い座組だったのだろうと感じている。

 事実、キャスト陣の意識の高さや前作からの物販対応の変化など良い点はいくつも見られる舞台であった。SNSのフォロワーの反応を見ても好印象の感想が多く、多数の人間が複数公演を取っているほどである。

 1st season~Flowering~を完走するまでは早いと思いこれまで待っていたが、すべて見たため感想をしたためる。

 

 

 

※ここから先あまり良いことは言わないので、華STが好きな人はこれ以上見ないことをおすすめする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から先に言おう。

 悪い舞台ではない。ただ、あまり好きな舞台ではなかった。それだけだと思う。

 基本的には好ましいと思った人間しか感想を呟いていないため、良いという感想しか出ていないのではないかとすら考えているくらいだ。あの舞台は癖が強いというか、華Doll*をどう捉えているかで受け取り方が変わる舞台だと思っている。それなら数人くらいネガティブに素直になった感想をきちんと書いてもいいだろう。

 華STを観劇した後に開いたスペースやSNSでの反応を見るに、声にはしていないがある程度思ったことがある人間もいたようだし。

 

 前提として、私は華Doll*の原作ドラマCDが好きだ。――正確に言うなら、シナリオ担当であった関涼子さんの本が好きといったほうが良いか。最近担当が変わってしまったようなので100%の好感情で原作コンテンツを追えていないのも事実だが、今のところ好きなことに代わりはない。

 原作が好きすぎるがゆえに、疑問をいだいた箇所が多すぎたというのもあるだろう。

 演者の演技は悪いと思っていない。経験値の浅さ、キャラ解釈の違い等はあるが、それは舞台のひとつの良さでもある。それぞれの演者が考えて咀嚼したものを見るのが楽しみなので、そこで悪いと思ったものはひとつもない。むしろpart1から成長した演技や細かな表現力の成長を見て、素直に感心していた。だがまあ、演者の演技については他の方々が上げているため、取り立てて私が話すこともないだろう。

 どちらかと言うと、私が指摘したいのは音響と本と演出だ。

音響

 アニメイトシアターの特性だろうか。効果音含め音が大きすぎる。part1では楽の前日に観劇したにも関わらず完全に音割れしていた。円盤収録の都合上なのかもしれないが、円盤を見ても俳優陣の声とバランスが合っているとは思えない。

 これに関してはアンケートにも記載したためかpart2ではある程度改善されていたが、転換の音や効果音が大きすぎるためにびっくりして席を揺らしてしまった。前回の音響を考えると、音割れしていないだけマシと思うべきかもしれない。複数の方に意見を聞いてみたが、やはり客席側から聞くに音が大きすぎたこと自体は事実のようなのでPE席だけでなく実際の客席で確認したのか疑問だ。

 そもそも舞台に対してBGMが多すぎるというのもひとつある。これは後にまとめて話すことだが、音が多すぎるために場面のメリハリがないことが多かった。音に任せて場面転換をするのであれば、それに対する緩やかな導入がなければ観客がついていけない。急に音と照明を切り替えれば(関連性はあるにしろ)全く別の話を始めていいという話ではない。シームレスにはさまるThe Way I Amのダイアリーにつなぐための演出には未だ疑問が残っている。

脚本

 part1の時から感じていたことなのでどちらのせいかははっきり判別できないが、全体的に話がわかりにくい。part2に関しては初見の感想を聞いたところ、凌駕の立ち位置について勘違いしていたという意見もあった。

 これはThe Way I Amのダイアリーを取り入れようとしたことも原因にあるだろう。本人の思考をダイアリーの独白に任せきりにしているせいで本来の話の流れが茫漠になっていた。

 帰宅してからpart1の円盤を見返してみたが、まだpart1のほうが話はわかりやすかったかもしれない。part1は関先生が脚本を担当していたからという事情もあるだろうか。1のときは初見でも理解できる本の構造になっているが、part2は原作華Doll*を”知っている”前提で話が進められている。

 もちろん、part1をみてpart2も見ようと思ってくれた人間の中には原作CDを聞いてくれるだけの熱量を持っている人もいるだろう。だが、俳優のファン等基本的には演技と舞台を見に来る客も当然いる。そんな人に対してのアプローチとしては明らかに優しくない。また、原作の芯を食っていないのも見にくさに起因しているだろうか。本だけを純粋に抜き出したとき、原作でロジカルに裏付けされたセリフの数々を中途半端にしか抜き出せていなかった。この点は元々原作シナリオを担当していた関先生の脚本のほうがマシだったと言わざるを得ない。

 入れたいエピソードが多いことも、描きたいこともなんとなくは察せられる。2つの舞台を通じて(結果的に)計5時間近くになったステージで、原作CDをすべてカバーできないのもわかる(1st seasonの原作が5時間弱であることを考えると疑念もあるが)。だからといって観客に誤解が生じるような脚本――ひいては、客側の前提知識に任せる脚本になっていたのはいかがなものだろうか。

 まあこれはムービック主催のステージ全てにおいて言えることなので、ムービックの傾向と言われてしまえばそれまでだが。

演出

 演出家の山本タクさんが良い方なのは、実際のカンパニーの様子やこれまで演出してきた舞台の様子を調べてみてもわかる。実際、コメントひとつをとって見ても誠実で良い方なのだろうと思う。

 だが、それと演出の出来は別だ。

 これは個人の意見になるが、舞台においては演出が全てだ。もちろん役者の演技力も大切だが、それは演出という土台の上に成り立つ結果のようなものである。演出に合わせて脚本をほぼ書き換えてしまう演出家もいるくらいだ。舞台を良いものにするかしないか、その根幹を握っているのは演出家だと考えている。

 こう言ってしまうと失礼に当たるとわかっていながらあえて書くが、この演出の方が捉えた華Doll*はこうなのかと眉をひそめずにはいられなかった。

 原作CDを聞いたことはもちろんあるだろう。であれば、原作の雰囲気というのもある程度はわかったはずだ。漫画や小説が原作でないこともあり、ドラマCDはすでに声優の方が演技をされている。原作ファンはもちろんその雰囲気を知った上で舞台を観にくる。その中にはキャラクターが好きな人間や、描かれた関係性を見たい人間も多数いるだろう。同じように、脚本と声優の演技によって形作られた作品の構造そのものを好んでいる人もいる。

 おそらく私は後者の側で、自分の中で最も大切だったのがそこだったのだと思う。だからこそこんなにももやもやと消化不良を起こしているに違いない。

 なぜ舞台側の面々はやみくもに叫んでいたのだろうか。声を張ることは演技に必要だが、必要以上に叫びすぎていてキャラクターが情緒不安定に見える。
特に疑問をいだいたのは、part1の理人と凌駕の場面だ。凌駕がチセに厳しい言葉をかけた理人を諫めるシーンで、かなり大きな声をかけている。原作ではどうだっただろうか。セリフだけを見れば確かに叱っているようにも見えるかもしれないが、原作の凌駕自身は静かに気が立って思ってもいないことを口走ってしまった理人に冷静になるように求めている。part1終盤の凌駕が陽汰を諫めるシーンも、その後眞紘が「僕のせい」と自分を責めるシーンも同じだ。

 そもそも私にとって華Doll* 1st seasonとは、全体的に静かなイメージがあったのだ。皆が和を保つために理性的に話をする。思いやりから自分の感情を押し留めているためにそれぞれの感情がこじれ、話がややこしくなる。そこから感情の吐露であったり、腹を割って話をしていく中で彼らなりの絆を築きより強固な関係を形成していく。一緒に過ごした日々の中で積もり積もったものが未練や勇気に変わって行動に移す力になる。
原作CDの脚本はかなりロジカルに出来ていて、感情的になる演技がより効果的になるように、言葉と演技が織り込まれている。

 だからこそ分からない。なぜ声を張ったのだろう。全員が不必要に語気を強める必要が果たしてあっただろうか。皆が感情的である必要がどこにあったのだろう。

 特に眞紘と凌駕の一連のくだりは、努めてみんなの前では理性的であったふたりだからこそ生まれていた「隠れた感情のこじれ」が全く表現できていない。眞紘と凌駕のオタクだからだろうか。特にふたりが理性的に話ができていないことに違和感しか感じなかった。

 やたらと全員でユニゾンさせたこともよくわからない。それが効果的な演出なら良いと思うが、声を合わせるために話の流れが止まってしまうことが多すぎて途中からうんざりした。舞台ならではの演出というなら、それがもたらす効果について考えてしまうのが私の悪いところであるが、今のところそれによるメリットが見当たらない。

 また、このユニゾン時に全員が不思議なポーズを取っていたことも謎だ。ポーズを取ることによる話の流れも全くつかめない。

 プロジェクションマッピングのような演出は悪くないが、演者にフォーカスが当たっている本の内容にも関わらず映像を映すために舞台が暗くなっている理由がわからない。開花時の訴えかけが難しいのはわかるため、この部分に関してはある程度仕方がないと捉えているが、これが明確に効果的だったと思えるのはチセのシナスタジアの表現くらいだ(この点でいうとpart1のチセ開花シーンはかなり良かった)。

 加えて、本編として注目してほしい部分が展開されているとき、舞台脇で他の演者が行っている演技によって客席に笑いが起こってしまっていたのも私としてはあまり良いと思えなかった。具体的にはpart2の中間、理人が眞紘をセンターとして認めている旨を伝える場面だ。プロダクションからの支給品を開けてはしゃいでいる凌駕・チセ・陽汰が脇にいたが、ここのコミカルな動きに注目して笑う客席が多かったために実際ライトが当たっている理人と眞紘の印象が薄くなった。

 確かにそのキャラクターとしてはやっていただろう動きであったため、解像度を上げるという点では良かったかもしれない。だが、それによって注目されるべきだった理人の不器用な優しさとフォローが客席に伝わってこなかった。

 私はなにも、はしゃぐ場面を入れるなと言っているのではない。キャラクターが本編で描かれていなかった部分を演者が表現するのも舞台の良いところだ。こう言ってはいるが、背中を叩く凌駕の力が強すぎて痛がるふたりの演技は良かったと思っているし、楽しそうに荷物を開けては中が何なのか興味深く見ているチセの様子も見られてよかった。ただ、メインの部分が展開されているところで脇の演技が本編を食っているのが演出としてうまいとは言えない。

まとめ

 総じて演出にメリハリがなかったため、のんべんだらりとした印象を持ってしまった。元々華Doll*が好きで「このシーンが見たかった」という部分がある程度満たされる気持ちはあったものの、これが華Doll*なのかと言われると首肯はできない。

 演者の演技そのものは、荒削りな部分も確かにあったものの全体的には良かったと考えている。特にpart2での陽汰の演技は、感情的な舞台の方向性も相まって胸に来る部分も多かった。part1に比べめきめきと成長している姿を見させてもらったがゆえに、やはりもったいなく感じてしまう。ひとつの表現としてこの舞台を受け入れたものの、この舞台が良いものだったと晴れやかに言えない心地の悪さが残念でならない。

 ただ、これは私自身の感想であり、これが好きな人も多くいるのだろう。実際肯定的な感想を見かけるたびに、楽しめた人たちのことを羨ましく感じる自分もいる。

 私もこれを見て楽しみたかった。

 これが公式だ。公式の舞台の演出だ。そう言われてしまえばこちらは飲み込むしかないが、「好きではなかった」とネットの隅で声をこぼすくらいは許してほしい。私にとってあれを華Doll* 1st seasonだとはどうしても思えなかった。それだけの話なのだから。

 この感想を読んだ人の中には、何度も観劇を重ねた人もいるだろう。どうせお前は対して通っていないだろうと思うに違いない。事実そうだ。地方に住む貧乏社会人ということもあり、実際に観劇できたのはpart1が1回、part2が2回と少なかった。

 しかし、舞台に関わらずコンテンツは初見の印象が全てだ。初見で面白くないと思ってしまえば「次」はない。特に舞台は他のコンテンツと違い、安くはない金を支払って観に行く。それで面白くないと思ってしまったなら、それが全てだ。

 

 もちろん、もちろん良いところもたくさんあった。良くないと思ったところばかり書き連ねたため印象が悪くなってしまうかもしれないが、あの作品すべてを否定するつもりは毛頭ない。舞台を行ってくれたことで興味を持ってくださった方もいるだろうし、原作ファンに与えられた新しい表現は新鮮だった。

 ただどうしても、「どうしてああなってしまったのか」という気持ちだけはずっと拭えずにわだかまって消えない。

 好きになりたかった。

 好きになるには自分にとって大切な要素が全く足りていなかった。それだけだ。

 

 ちなみに華ST part2の円盤は購入予定だ。色々言ってしまったが、好きなドラマCDが視覚化される喜びは確かにこの舞台でも感じられた。この「先」を見ていきたいという気持ちは私にもあるため、2nd seasonの舞台が続くよう願っている。

 

 最後に、演出家の方の他の作品を見て判断したいと思ったものの円盤化されているものが手に入らなかったため、配信などでも良いので、もしおすすめの舞台があれば教えていただきたい。これをしたためる前にちゃんと別のものを見て客観視したいと思ったのだが、探しても得られなかった。
華Doll*が好きだからこんな気持ちになったのか、きちんと自分の感情に整理をつける時間がもう少し必要だと思う。

華Doll*~Flowering~ Boys were still in a dream(コミカライズ書籍版)感想

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華ドルコミカライズ書籍

多忙と心身の不調とクリスマスまでの原稿で完全に更新が止まってました。年末年始、数年に一度の大寒波により(毎年寒いと思うんですけど)寒すぎてパソコンの前に座るのが億劫でならないのですが、どうしてもこれだけ書いて今年を納めたかったので意地でも書き上げることにします。

2021/12/13(月)、待ちに待った「華Doll*~Flowering~ Boys were still in a dream」コミカライズ書籍版が発売されました。発売してすぐ電子書籍を購入し、アニメイトで注文した紙を待ち望みつつ仕事に向かったのはそれなりに今年のいい思い出になったように思います。今回はこちらのコミカライズについて私なりの感想をまとめたいと思います。

本誌連載時のRYOGA~MAHIRO回の感想は以下↓

skmysn.hatenablog.com

感謝

名尾生博先生、1年間華Doll*のコミカライズを担当いただき誠にありがとうございました。私個人は途中からではありますが、毎月掲載誌を購入し、様々な方と感想を話したり展開を予想したりと楽しませていただきました。描き下ろしページや描き下ろし特典まで付けてくださって本当にありがとうございます。これからのご活躍も応援させてください。

kc.kodansha.co.jp

感想

総括

書籍版で数えて総数223ページ。去年の11月に始まり1年間、計12回の連載を経てついに書籍化した本は思っていたよりも分厚く重かった。蛇足だが、K社はわりとこういう分厚い本を平然と作ってくれるので個人的に好きだったりする。実物として手元にあるのとないのとでは実感がまったく違うもので、本を手にとったとき、コミカライズは本当に終わってしまったのだなとどこか寂しい気持ちで破りにくいフィルムに手をかけた。

正直なところを言うと、2020年6月発表当初に「コミカライズ決定」の文字を見たときには本編のコミカライズとばかり思っていたため、実際見て本編の補完ストーリーとなっていることに少しばかり落胆した自分もいた。

というのも、個人的にはメディアミックスによって新規のファンが増えることを望んでいたからだ。パブサしてみると「漫画出るなら読んでみようかな」という未視聴の方が一定数存在したため(具体的数値や意見を提示したいが個人の意見になるのでここには記載しない)そういった足踏みしている層へのアプローチに適していると思っていた。自分自身がすでに本編を知ったあとで拝読しているため確信はできないが、華Doll*についての情報が皆無である状態からコミックの情報のみを押さえるだけでは確実に置いていかれるだろう。公式としてディストピアSFを名乗るのならば特に、世界観の把握とおおまかな話の把握は大切だ。その点で特にメインとなる話の流れが掴みにくいのは大きな弱点となりうる。

年代によるメディア慣れの違いもあるため一概には言えないが、ドラマCDコンテンツは人に手にとってもらう機会が漫画やアニメ、ゲームに比べていくらかハードルが高い。その中で、コミカライズはひとつ大きな新規を得る機会だった(掲載誌の選択についてはなんとも言えないが……)はずだ。ここで新規への販路がうまく繋げられなかったのは口惜しいと個人的に思ってしまうことを許してほしい。

だが、そのデメリットを凌駕するほど既存ファンとしては満足度の高いコミカライズだったと断言しよう。1stシーズンはCDのリリース時期とドラマパートの時系列がほぼ一致していたため、描かれる物語は彼らの日常の重要な部分のみをかいつまんだものになる。それを主に補完しているのがTwitterやブログ等だが、ストーリーにはなっていない以上どうしても断片的になりがちだ。その隙間を丁寧なコマ割りとストーリーでもってして、彼らが親交を深め信頼関係を築いていくまでの過程を描いたのがコミカライズの展開だ。

LIHITO

はじめのリヒト回では呼び方もぎこちなく、皆がそれぞれの距離を測りかねつつも特に距離感を掴みにくかった理人に焦点が当たっている。理人とどのように接していけばいいのか悩みつつも、ひとりのコマにいがちな彼に周りのメンバー(主に眞紘と凌駕)から積極的に同じコマに入り、コミュニケーションを取りに行く姿勢が見られる。元はとても優しい心根の理人だ。眞紘の真っ直ぐな言葉に皆の輪に参加するようになり、最後には自分から眞紘の腕を取り身体を支えに行った。

このあとに理人は開花し更に元の素質である優しい面が強くなっていくわけだが、最初のCDでツンケンしていたところからメンバーと打ち解けていくまでの一過程が描かれていた。

CHISE

続くチセ回ではBoxedリリース前のジャケット撮影での事件を描いている。主に理人とチセの軋轢を描きつつも理人と千勢の関係を匂わせるためのものか。これが本誌で掲載されていたときはロケットペンダントの中身がよく見えなくなっていたのが、es発売後関係が顕になったことで書籍では少し中身が見えるようになっているのが感慨深い。

この回ではふたりの目が特に大きくスペースをとって描かれているように思う(ふたりが中心の回なのだから当たり前といえば当たり前だが)。しかし、肝心のふたりが本音を漏らすシーンでは目が描かれていない。彼らにとって目がとても重要なものであるからこそ、本当のことをうまく飲み込めずに持て余しているふたりの様子が表されているのではないだろうか。

HARUTA

ハルタ回ではIDOLlsの前、みんな大好き今日からスター☆アイドル運動会での一幕を描いている。ここでは陽汰の孤児院時代に言及しており、扉絵では後に同じ孤児院で弟のような存在だった鬨が描かれているのがわかる(くまのぬいぐるみを持って眠っている少年)。

だれよりも明るい太陽を冠する名前であるにも関わらず、誰よりも負の感情が露見しやすい陽汰の目は緑色だ。中盤での記者の心無いぼやきに劣等感を掻き立てられつつ、置いていかれた過去と迎えに来てくれた薫との存在の対比と陽汰の内なる成長が記されていた。

ここで私が大切だと思った点は「応援してくれる人たちのために…」という陽汰のセリフだ。これはFor…での理人チセ、薫陽汰での意見のすれ違いに登場する「期待してくれる誰か」へつながる言葉だろう。漫画での「応援してくれる人たち」は確かにそこにいて彼らを確かに元気づけており、同時に「心無い誰か」の声は黒いもやの人影としてそこにはあるものの実体が様として知れない。形をとらないものは人に容易に取り付いて離れない怪物だ。彼にとって、何を信じるべきなのか、何に目を向けるべきなのかを暗に教えているのがこの回だろう。

KAORU

カオル回ではブログにも記載のあった今日からスター☆クッキングの様子を描いている。このとき、ついにチセの華が咲き、残るは陽汰と眞紘のみになった。思い悩むふたりに大して自分がどう接していけばいいのか、変わっていく人間関係とぎこちない気まずさに薫が思い悩む回だ。

hana-doll.com

料理回は上記リンクのとおりブログにも掲載されているわけだが、この話の裏で薫の心情の変化が起きていたことを描いてもらえるのは個人的にとても嬉しかった。微笑ましい料理番組――兄組たちの料理は壊滅的だが――の最中でもアイドルたちが成長している過程を見られるのはいちファンとしてわくわくする。薫の過去を交えつつ、陽汰回で励ましたように薫が励まされる、相互に助け合う関係が描かれていた。薫と陽汰のシンメは思いやりの相互扶助関係だ。できることをひとつずつ行っていくふたりの成長を、陽汰は対外関係から、薫は内的心情から発露し、仲間から助けられて気づきを獲得している。最もシンメらしい描き方と言ってもいい。

RYOGA

リョウガ回からはブログでの感想も書いているので、大きく話すことはないのだが、一通り読んだ上での感想としてまとめておこう。これは遠征先で野外活動を行う話だ。ついに陽汰の華も咲き、残るは未開花は眞紘だけになった。負の感情を人前で出さないようにしていた眞紘が凌駕の前で弱音を吐くMessageラストのあとであり、彼が上手く眠れなくなったことが言及されている。眞紘は独りとして誰からも距離をとり、作り笑いばかりを浮かべていた。本誌掲載の前半では眞紘の側には誰もおらず、後半で半ば強引に引き合わせるように他のメンバーが凌駕と眞紘を同じ場所にいさせている。

結果的にふたりはすれ違っていた関係を少しほぐし、凌駕の眞紘に対する思いはより強固になった。本誌掲載では「お前のために」という言葉が「お前のために」だったのが書籍では「眞紘(おまえ)のために」になっているのが、校正の結果だろうが亡き智紘に重ねていた眞紘という存在から、確固たる結城眞紘という存在への思いに移ったように思えて感慨深く感じている。

MAHIRO

堂々たる最終回は、やはりセンターにして最後の開花者、マヒロだ。For…を主に眞紘の視点から描いたものであり、最初に期待していた本編のコミカライズに最も近いものだったといえる。原作CDからの変更もいくらかあり、考察をしているファンからすると惑わされるため賛否は分かれるかもしれない。(まあドラマが主体なのだからそこで迷う人はいないか……)もうすこしページを使えたらより良くなったのではというifの気持ちがないわけではないが、もてるページ数で最大限の効果を出しているのではないだろうか。最終回を読んで私が感じたのはリヒト回での階段を登り始める眞紘と今回の階段を降りきらない眞紘の対比だったが、特にこれまでを振り返ったときの各所への対比が大きく回収されている。

上層部からの圧力、内面世界からの智紘を象った存在からの揺さぶり、本音を言うときに見えない表情、独りだったところから迎えられる手に自ら差し出す手。全ての流れがこの1年を過ごしてきた仲間たちだからこそのことで、眞紘が開花した大きな所以だ。

描き下ろし

描き下ろしの各メンバー3コマはとてもほっこりして思わず笑顔になったので、こういうほのぼのしたものもたくさん見たいと欲が出てしまった(同社別コンテンツで昔やっていた4コマ連載みたいな……世界観や各メンバーの紹介をしつつほんわかした日常を描いているやつ……)。また、アニメイト特典の描き下ろしライブシーンでの逸話はぐっとくるものがある。正直こういうのがもっとほしい。

最後に

最終的にはとても良いコミカライズだったと思っているので、ぜひ本編を一通り聞いた上で読んでほしい一冊である。

本格的に連載を追い始めたのはカオル回後編からのことだったため、短い期間ではあったものの、1ヶ月毎の更新を待ち望む日々は本当に心を潤してくれた。

 

華Doll* ~INCOMPLICA~のコミカライズもしてくれることを密かに期待しています……良質な時間を本当にありがとうございました……!!!

少年マガジンエッジ2021年11月号「華Doll*~Flowering~」感想

はじめに

華Doll*~Flowering~コミカライズ、完結おめでとうございます。そしてお疲れさまです。ありがとうございます。今年4月から本格的に華ドルを好きになったため、実際に本誌を追っていた期間は4ヶ月と短いものでしたが、毎月発売日を今か今かと楽しみに生きておりました。

Anthosメンバーの心に寄り添った、温かい物語をありがとうございました。11月13日に発売する分冊版最終回も、12月13日に発売する書籍版も購入を楽しみにしております。

12月13日、書籍出ますよ!!!!!!嬉しいね!!!!!!!

前回の記事(眞紘回前編)

skmysn.hatenablog.com

私の心構えについて

凌駕回後編末尾にも話したが、後半は必ず物語がうまくまとまるのであまり感想を書くこともないだろうと考えていた。そもそも眞紘の華が咲くことは1st seasonを聞いていればわかることで、今Anthos*に眞紘がいるのがその答えだ。前編感想でも言ったように、眞紘回は実質For…のコミカライズと言っても問題はないので(そうかな?)展開はすでに読めている。

良い結末を迎えるとわかっていて取り乱すようなオタクではない。両手を広げてコミカライズの完結を祝おう。そう思っていた。

(まさかの決済エラーで配信から20分ほど待たされた発狂ぶりはTwitterを参考にしてもらいたい。Kindleくんと私はあまり相性が良くないようだがこれからも使い倒すぞ。)

本誌感想

結城眞紘――ここではあえてフルネームで呼ばせてもらおう――にとっての天霧智紘とは、一体どんな存在だろう。自分という存在を肩書なしに「眞紘」として見てくれた人、唯一の兄、劣等感の象徴、叶えたかった夢。数え上げればきりがないが、誤解を恐れずに言えばこれまでの結城眞紘を作り上げた最も重要なファクタだ。だからこそ、眞紘の夢の中における智紘は、これまでの眞紘自身の化身として現れている。
何かを自分に言い聞かせたいとき、自分にとって一番影響のある人間からの発言が一番身につまされるものだ。自己評価が低い人間ならなおさら、他人に自分の意志を委ねたがる。眞紘にとって無意識下にその役割を担っていたのが、智紘だったに違いない。

眞紘が医療棟に来て、正式な脱退手続きを済ませるという名目で医療棟に拘束されていた期間がどれくらいなのか、私にはわからない。(AnthosのTwitterから読み取ろうとしても開花した時期が判別できる程度だと個人的には考えている。)それでも、彼が「いつまでここにいればいいんだろう」と思う程度、凌駕から受けた頬の傷が癒えて消えてしまう程度――殴られた跡がすっかり癒えたことから考えれば最低でも4日以上――、眠るたびに智紘の夢を見ていたことは確実な事実だ。つまりその間、何度も何度も眞紘は自分を納得させようとし続けている。常に自身を苛み続ける胸の痛みをやり過ごしながら。

この状態は、己の心に目隠しをしていると言っていいかもしれない。己が本当に欲しているものに目を向けないように、必死に心の叫びを無視し続けている。
その本心を現すために、本当の思いを聞くために、メンバーたちはやってきた。

コミカライズという紙面の都合上ある程度のセリフ変更は覚悟していたが、視覚化のコンテンツとしてこの展開は美しくまとまったと思う。個人的には原作のチセが眞紘に抱きつく(抱きついてるよね?)シーンからの開花も好きだが、徹底して丁寧な対比を見せてくれたコミカライズでの終わり方としてこの最終回はかなり好きだ。

第1話では定期試験の合格により仮デビューが決定し、Anthosがアイドルとしてのステージへまた一歩上ることになる。この話の最後では、アイドル衣装に身を包んだ眞紘が階段を登るイメージをした瞬間、智紘の影が現れる。自分の目的を忘れるなと眞紘をたしなめるように。
そしてこの最終回では、眞紘がAnthosを正式に脱退してしまう前に、凌駕を中心としたAnthosのメンバーが迎えに来て手を伸ばし、眞紘は変化して何度もリフレインした智紘の言葉を噛み締めて自分の意志で仲間の方へ手をのばす。そうやって選び取った未来の結果、眞紘は階段を下りきる前に開花を果たす。
眞紘にとって――まあ一般的と言われればそれまでだが――階段はアイドルという舞台へ続く道のメタファーだ。舞台の上に上がるため、下りるためのもの。だからこそ階段の中腹あたりまで眞紘は下りてくるし、凌駕はそんな彼を舞台から下ろさないために階段を上る。今度こそ真っ直ぐに、正面から手をのばす。

Anthosという場所は、寄せ集めの6人で形作られた「手を取り合う」関係でできているのだと思う。互いに手を伸ばして初めて繋がる関係で、そこには凌駕回で言ったように自分の意志が存在する。ひとりひとりの個として、青年たちが存在できる場所だ。
互いの手を取りに行くのではない。すがりつくのでもない。互いをひとりの人間として尊重し、信頼するからこその距離感で手を伸ばし合う。そんな場所だからこそ彼らは自分で立って、自分の意志で歩くことができる。
そういう関係になれたから、そして、Anthosという場所にいたいと言える勇気を持てたからこそ、結城眞紘の華は咲いた。

あまり断定的な言い方をするのは苦手なのだが、これだけは間違いないと自信を持って言える。彼の華が咲くには、これまでの月日がなくてはならなかった。メンバーとの時間を積み重ねてきた末の結実は、咲いた赤い華の言葉が物語っている。

 

esの動向聞いてると祝っていいのか正直わからないけれど、おめでとう眞紘くん。これからもAnthosとして、そしてAnthos*としての結城眞紘くんの活躍をずっと応援しております。

 

おまけ

(本誌ページ数的数え方)605ページの手の作画といい迎えにいく凌駕さんといいなんかもう宗教画じゃないですか?????このページの複製原画販売してくれませんか!!!!?????
コミカライズの開花シーンだと凌駕さんの身体的負荷凄そうだけどそこはさすが筋肉担当ってことかな。これならストレッチャー持ってくるよりお姫様抱っこするほうが早そうじゃない? 公式でお姫様抱っこしてるし……。
開花する瞬間さすがにちょっとえっちだと思ってすみません。

それで……その………………………

INCOMPLICAのコミカライズとかないですか!!!!!?!?!?!?!?!???もっといろんな彼らが見たいんですが続きは!!?!!?!?!!?!???お願いします名尾先生の刹那くんとか亜蝶さんとかルイさんみたいです今の鬨くんもみたいですお願いします続きを、続きを……ほのぼの日常とかでも……だめ……?

10/10プレゼン会資料【What's 華Doll*?】

身内プレゼン会での資料

本日10月10日(日)、リモートにて大学時代から(?)の友人たちと恒例のプレゼン会を行いました。その際使用したスライドと原稿を以下に展開します。

問題があれば削除するのでご指摘いただけると幸いです。

www.slideshare.net

どうしても参考元にしたURLのリンクが外れてしまうので、本番で使用したGoogleスライドのデータも共有いたします。

docs.google.com

発表原稿

ざっくりまとめて書いているだけなので、実際に発言した内容とは少々乖離している。

 

ただいまご覧いただきました映像は、これからプレゼンする「華Doll*」のコンセプトトレーラーです。最後に書かれていた言葉で、このプレゼンを始めていきましょう。

Are you a thinking reed?――貴方は考える葦ですか。

それでは早速、華Doll*について話していきましょう。これ以降は公式略称である華ドルと呼ばせていただきます。よろしくおねがいします。

華Doll*とは、movicが提供するアイドルドラマCDコンテンツです。
今までのアイドルのイメージを違った視点から切り取り、タブーとも取れるテーマにあえて踏み込んだ知的興奮型コンテンツと公式から提言されています。この具体的な内容についてはMVやストーリーの部分で紹介させていただきます。
大まかに話をまとめると、日本で5本の指に入る大手芸能プロダクション「天霧プロダクション」を中心とした、アイドルという存在とは何かについてのお話です。天霧プロダクションは礼儀や規律に厳しい芸能事務所ですが、その力は絶大で揺るぎないものとなっています。そんな彼らが飽和したアイドル業界に一石を投じるために、新たなアイドルの形を求めるプロジェクト。それが通称「華人形プロジェクト」です。この華ドールプロジェクトに参加した青年たちが、それぞれの夢や目的に向かってアイドルの頂点を目指していく物語です。

その「華人形プロジェクト」とはなんなのか。先ほどのコンセプトトレーラーでも軽く触れていましたが、今一度ご説明いたします。
華人形プロジェクトは、「完璧」なアイドルを作り上げることを目的に、天霧プロダクションが取り組んでいるプロジェクトです。
それは、芸術と医療の融合。
人体に特殊な花の種を埋め込み、その成長に合わせ人の潜在能力を最大限まで引き出す医療技術。この技術を使うことにより、高い才能を持った「完璧」に近いアイドルを人工的に生み出すことができます。
大手医療研究所の協力の下、脳科学インプラント技術などの医療分野、さらに情報管理・解析などのIT技術など様々な分野の最先端技術を駆使し、人間の身体自体にアプローチしていきます。そして通常は抑制されている脳機能のリミッターを外すことにより、人が本来持つ能力を開放し、観客が求めるものを、永遠に、100%提供できるような存在となることを目指していくものです。

具体的な概要を説明すると、以下の通りになります。実際に読み上げる時間は残念ながらございませんので提示するだけにしますが、この様になっております。具体的なコメントについては後で少し印象を伺いたいので、そのときにお話しいただけますと幸いです。

この華ドールプロジェクトには2組のユニットが在籍しております。次はそれぞれのユニットについて紹介していきましょう。

まずはこちら、Anthos*です。
「よりファンの心に近く、親近感のわくようなアイドル」というコンセプトをもとに結成されたユニットとなっております。最初から完全なデビューではなく、「プレデビュー」枠として活動を開始し、初期メンバー6人が全員開花後、八代刹那――左から3番めの白い人ですね、を加えた7人組グループとして正式デビューしました。
様々なジャンルを盛り込んだ音楽と、メッセージ性を秘めた歌詞で魅せるパフォーマンスを特徴としています。

具体的なメンバーについて軽く紹介しましょう。
まずは影河凌駕。CV濱野大輝さん。筋肉担当で筋トレが趣味の、魅力的低音ボイスを持つユニットのお母さん的存在です。
次に結城眞紘。CV山下誠一郎さん。笑顔担当であり、Anthosのセンターを勤めています。明るく無邪気なところもあれば時折人をはっとさせる強い魅力の持ち主で、最近ではギャップ王と称されています。
次に八代刹那。CV堀江瞬さん。こちらが正式デビュー時の追加メンバーです。マイペース担当で普段の生活からミステリアスな雰囲気をまとっています。メンバーの中でも一段抜けてカリスマ的才能の持ち主となっています。
次は下段に参りまして、チセ。CV駒田航のロリです。駒田航のロリです。大事なことなので二回いいました。ビジュアル担当で、誰もがうらやむ美貌と天真爛漫さを持ち合わせています。
そして灯堂理人。CV伊東健人さん。元モデルで頭脳明晰。歌声担当と銘打つだけはあり類まれなる歌唱力の高さに秀でています。
次に如月薫。CV土岐隼一さん。立ち姿はまるで王子様。おちゃめで天然ながらセクシーさも併せ持つ、Anthosのマイナスイオン担当です。
最後に清瀬陽汰。CV増田俊樹さん。ムード担当で、ダンスの才能に秀でているユニットの末っ子的存在です。

彼らの活動はTwitterで投稿されているので、気軽にSNSでの確認が出来ます。理人とチセが共同でプロデュースしたAnthozooの商品展開もとても可愛らしいです。

もうひとつ。彼らの先輩ユニットであるLoulou*diを紹介いたします。
Loulou*diは天霧プロダクションの練習所でSSクラスの練習生であった3人で結成されたグループで、中心にいる烏丸亜蝶を絶対的センターとした人気アイドルグループでした。3年前、雨宮快斗の脱退により一時活動を休止しておりましたが、櫻井鬨の加入により現在再始動しております。デビュー当時はクールなイメージのユニットでしたが、再始動後は高貴や孤高、哀愁など繊細なイメージで活動しています。

具体的なメンバーは以下の三人。
まずは絶対的センターの烏丸亜蝶。CV豊永利行さん。完璧主義で、アイドルとしての自分に誇りを持っています。
次に氷薙ルイ。CV武内駿輔さん。Loulou*di結成当時からのメンバーで、亜蝶とは練習生時代からの付き合いです。
最後に新メンバーの櫻井鬨。CV山下大輝さん。
無邪気で少し我儘なルルディの末っ子です。ほんの少し……毒を吐かれる一面もあるようですが。

各アイドルについての魅力は語り尽くせないほどありますが、とりあえず皆さん顔が良いことだけは確実です。もし気になるビジュアル、声優、性格の方がいらっしゃいましたら、ぜひ私の方にお声掛けください。

それでは各ユニットの音楽について触れていきましょう。

Anthos*、Loulou*di、それぞれにアプローチの違う新しい音楽の形を提供しています。
Anthos*は具体的にこういう音楽と定義するのは難しいのですが、様々なジャンルの音楽を交えた聞きやすいサウンドが特徴です。7人というメンバーから入り乱れる主旋律と重厚な美しいコーラスに耳を傾けずにいられません。
とにかく歌がうまいです。
ほんとに、歌、うまい……。
Loulou*diは宗教的な、荘厳なイメージの楽曲が多数あります。リーダーの亜蝶をちゅうしんにすえた、3人ながらも厚みのあるサウンドで、多言語での歌唱が大きな特徴でしょうか。なんと最大で5ヶ国語を盛り込んだ楽曲も存在します。
とにかく歌がうまいです。
もうCV見ればわかります。歌上手しかいません。なんやこのコンテンツ。

なお、華ドルは楽曲のみならずMVの美しさも魅力の一つとなっております。
これは各ユニットのMVからいくつか切り取ってきたものですが、アイドルのビジュアルが出てくるよりもこのような美しい景色やメッセージ性の強い映像が映るほうが多いです。アイドルコンテンツとしてアイドルがここまで出てこなくていいのかと不安になったりもしますが、彼らの、そしてこのコンテンツの在り方として正しく、そして何よりも美しいので一見の価値はあります。

また、これらのMVに使われているモチーフは、全て有名な小説や映画がもととなっています。
スタンド・バイ・ミーであったり、フォレスト・ガンプブレードランナー星の王子さまアンドロイドは電気羊の夢を見るか?ロミオとジュリエットなど名作を知ることにより、より理解が深まる構成です。もちろん知らなくても楽しめます。
なお、これらMVはYoutube,ニコニコ動画にて。また楽曲はほぼ全て各サブスクリプションにて配信しております。まずお手軽に聞いてみることで彼らの魅力に触れていただけます。
後で各ユニット1曲ずつ見ていただく予定ですので、ぜひ気になった方は他の楽曲も聴いていただけますと幸いです。

それでは肝心のストーリーについて、軽く触れていきましょう。

人体に花の種を埋め込むということに

どのような印象を持たれますか?

(みんなの意見を聞く。)

これから提示するのは、実際に華ドルが悪質サイト撲滅キャンペーンと銘打って文春や各種サイトに掲載した記事や意見、そしてドラマパートの発言抜粋です。

華Doll*
それは、それぞれの夢や目的のため、これからの人生全てをなげうってでも自身の体に花の種を埋め込んだ青年たちが、トップアイドルを目指すお話です。
現在1st seasonが5巻、2nd seasonが4巻(おそらくは全6巻)と展開しており、そのほぼ全てがサブスクリプションでも配信されております。

1stseason、Floweringは、Anthosの初期メンバー6人が自らの身体に埋め込まれた種を成長させ、開花させるまでのストーリーです。
先ほど少し厳しい世間からの目を提示しましたが、この話はどこまでも互いが互いを思う気持ちでつながり、すれ違いながらも、それでも不器用にまた手をのばす、愛の物語です。
たとえ、世界が彼らに対してどんなに非情で、残酷であろうとも。

2ndseason INCOMPLICAは、Anthos正式始動に加え、Loulou*diの活動再開を交えて華ドールプロジェクトの本質に迫っていく物語です…たぶん。
刹那の加入に戸惑いつつも、高みに向かって邁進し続けるAnthos*。活動を再開したものの、どこか焦りを抱えた様子のLoulou*di。彼らの運命は交錯し、歯車が回りだす。

貴方が見ている世界は本当に真実でしょうか。
見方次第で、それは何者にでも変容します。

もう一度、華Doll*の本質について立ち返りましょう。
華Doll*とは、アイドルという視点から現代に切り込んだ、ディストピアSF作品です。

これは様々な愛の話であり、目の前にいる人達を大切に思う、不器用な青年たちのお話です。物語の中で、彼らは自分にとって本当に大切なものはなんなのか、正しさとはなんなのか、常にわたし達に問い続けます。
同時にこのコンテンツはアイドルとして、人間としてのタブーに踏み込む挑戦的なCDシリーズです。
物語の秘められた本質に気づくかは、あなたの考察次第。
視覚、聴覚、思考、知識をふんだんに活用する……それこそ、このコンテンツが知的興奮型コンテンツと銘打つ所以です。

一応注意しますが、このコンテンツは考察をしなくとも充分に楽しめるように作られています。考察は苦手という人も物語を追うだけで充分です。サブスクで全部配信されてます(3回目)
ただひとつ注意したいことですが、本編には少々過激な内容も含まれます。人体改造、遺伝子操作、薬物等とにかく出てきます。精神的にくるパートもわりと多いです。
でもこれだけは覚えておいてほしいんですが、地獄ばかりのコンテンツではありません。これは愛の物語です。人が人を慈しむ物語です。

華Dollは、いいぞ。

友人からの反応

熱意がすごすぎてドン引きされました。いつものことなので問題はありません。

生の根源

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華Doll* Anthos*~The Way I Am~KAORU


はじめに

ソロインスト感想記事第2弾。今回は如月薫の「Breathe」について感想を述べていきたい。
前回の理人ソロの感想は以下

skmysn.hatenablog.com

個人的には華ドルに興味を持ったきっかけということもあり、薫くんのことはかなり特別な気持ちで見ている。そもそも土岐隼一さんの声にどうしても抗えないオタクだ。具体的事例をあげていくときりがないが、アーティスト活動されているCDをとりあえず買って聞いている程度には好きである。とにかく、何より、歌がうまい……。ツキプロに始まり各種コンテンツで土岐さんのことをお見かけしては聞いているが、どの曲も安定感があって信頼しかない。華ドルの曲を聞いてみようと思ったきっかけも土岐さんがいるからで、私が2次元アイドルにおいてよく好んでいる王子様のような見た目も好ましかった。華ドルに出会わせてくれてありがとう、薫くん。

ソロシリーズの中でも、私が最もインストを気に入っていると公言しているのが以下に紹介するBreatheだ。何気ない美しい旋律だが、如月薫という人間性とその半生を考えた時、私はそこに物語を感じずにはいられなかった。以下に記すのは私の勝手な印象であり実際にどうかは知らないが、このような印象で聞いている人間も世界の片隅にいるのだと思ってくれると嬉しい。

Breathe

youtu.be

Breathe. ――呼吸すること。

如月薫にとって、人生とはまさしく生きることそのもの……もっと具体的に言えば、呼吸をし続けることであった。目を閉じて眠って、次の日の朝に目を覚ますこと。心臓が動いていること。呼吸をしていること。最低限のように思えるそれこそが、彼が生きてきた半生の奇跡の連続だ。

ソロ特典SS内での言及にくわえコミカライズ薫回で明言されたことだが、薫が長く臥せっていた原因は心臓の病によるものだった。心臓が正しく脈を打つことよりも、自分にとって身近な生きている証は、呼吸することだった。

薫のソロは全体的にどこか冷たい冬を思わせる音をしているという印象を感じたのを覚えている。それは決して厳しい、辛いと思うものではなくて、ただそこにあるものだ。低い温度と冷たい風、長い夜の中にある肺を刺すような空気。それは感じる人間の心象によって何通りにも解釈できるもので、薫からみたその景色は自分の歩いてきた道なのだろう。

全体を通して終始調の明るいテンションで紡がれる和音は美しく、曲そのものからマイナスイオンが出ているような気さえする。流石はマイナスイオン担当の彼の曲と言っても良いかもしれない。どこまでもこの曲には肯定しかないからこそ、優しく胸に響く。

最も注目して聞いているのが、ドラムとベース、主にリズム隊の動きである。この曲において、ベースとドラムの動きは鼓動として捉えるのが私の中で一番自然に聞こえる。

youtu.be

JulietのThinking reed ver.の3:42あたりで、それまで一定だったバスドラムの動きが急に不規則になる。MV上では心電図が走る。Julietのティザービジュアルで薫は静脈と動脈に似た青と赤のリボンが絡み合う場所でそれらを掴んでいる。バスドラムの動きが薫にとって鼓動を示していると想定するのは少なくとも間違いではないだろう。

Breatheに話を戻す。

前奏からAメロの間、バスの動きは8小節ごとの頭に1回鳴るだけだ。これはおそらく、病室のベッドの中で満足に動くこともできずに同じ形に切り取られた空を眺めていた薫の状態を表している。鼓動は静かで、いつ止まるかもわからない。もしかしたら次には鳴らないかもしれない。8小節という間隔の長さはそんな一抹の不安さえ覚える。

Aメロ途中から入るベースの動きがピアノに沿うことで下支えが生まれるが、一定のリズムを保って鳴る秒針に似た音は否応なく彼の時間が過ぎ去っていくことを教えているようだ。医療のもとで生かされている状況と、制限された中での幸せを噛みしめるような音に少しずつ色が乗っていく。治療の影響だろうか。Bメロでは全体的に段階を踏んで状態が徐々に良い方へと向かっていくような明るい音の積み重ねが続く。

そして、サビに入ったところでようやくバスドラムとシンバルが鳴り始める。4つ打ちで力強く鳴るそのサウンドは、種を埋め込んでアイドルとしての道を歩みはじめた薫の鼓動だと考えている。Bメロ終わりから鮮やかに色づいたサウンドは、外の世界を知って輝き始める薫の人生そのものだ。病室の中で、ほとんど人生経験を積めずに生きてきた薫にとって、目に映るもの全てが新鮮に見えたに違いない。

力強く正常に脈打ち続ける鼓動を聞きながら、流れ続ける時間と過ごしてきた過去のフレーズが共に織り交ざったインストの上に薫の優しく透き通った声が乗る。ようやく自分が自由に動けるようになった、その喜びに満ち溢れた音だ。

2番Bメロは曲全体の中でもいっとう好きな部分と明言しよう。ここでは1番と比べてバスとシンバルの動きも加わって音にきらめきと厚みが生まれた。すでに心臓は正常に動いていて、Anthosとしての活動を行っているからだろう。着実に脈打つ鼓動と共に、薫はアイドルとしての人生を歩んでいる。

2番で追加される1:57のシンセの音(これが一番好き)は薫の開花を暗喩しているのではなかろうか。これはどのメンバーにも言えることだが、華が咲いたことで劇的に何かが変わったわけではない。ただ、薫の場合は2巻「Boxed」で理人が言ったとおり、これまでよりもより実感を持ってアイドルとして努力を続けていきたいと思える心情に変化した。

すぐに大きな変化は見られなくても、着実に一歩ずつ成長していく薫の在り方に沿っているように思う。

Cメロで一転して静かに薫の歌を聴かせにくるのは、これからの彼の歩み方を真っ白な世界の中で再構築するためだろうか。間奏から最初の動きが始まり直し、ラスサビへの流れでこれまでの曲の流れを徐々に積み重ね直していく。

そうして再び胸を打つ鼓動は、力強く、高らかだ。

実際、長い入院生活は苦しいことも多かっただろう。人よりも人生経験がまるでないことをコンプレックスに思っていた薫にとって、Anthosに出会うまでの人生は幸せだったが同時にどこか空っぽだった。

自分がなにもないと思い知らされるのは、苦しい。しかし、それすらも胸を満たす一つの息として吸い込んで、これまでの彼の人生全てを飲み込んで前向きに歌うことができる薫は本当に強い。

 

例え命が終わるその瞬間にも、最後には呼吸をするだろう。彼にとってはそれが始まりであり、全ての源だったのだから。

 

おまけ

そもそも何故心臓の病に臥せっていたのに「Breathe」なのか。自分の体であるにも関わらず自由に動くことさえままならなかった薫にとって、意識的に自分ができることが「呼吸すること」だったからなのかと上で書いたし、そう考えてもいるが、ほんのりと考察をする身としてスティーブン・キングの恐怖の四季:冬を思い出さずにはいられなかった。「マンハッタンの奇譚クラブ(原題:A Breathing Method)」、原題をそのまま訳すと「呼吸法」。ある不可思議なクラブで、主人公がクリスマスイブに聞いた神秘的な話からこの名が付けられている。呼吸をし続けることをテーマに語られるクリスマスの奇跡は、生々しく美しい。

ここでの主体はインストの感想であるため具体的な言及はまた別記事にでもするが、もしかしたらこの物語とつながっているかもしれないと考えてみながら聞いてみるのも楽しい。特に歌詞まわりの一致が面白いので、物語と比べるときにはぜひ歌ありの曲を聞くことをおすすめする。

少年マガジンエッジ2021年10月号「華Doll*~Flowering~」感想

はじめに

https://magazine-edge.jp/news/hanadoll/

分冊版が発売されました!!(リンク貼りたいけれど総合して出してくれてるところないみたいですね……)

雑誌を買うのはやっぱり厳しい……という方、まだ紙ではないですが分冊版が出ましたよ!!!!!!公開されている4回分を購入してもマガジンエッジ1冊買うより安い!!!この機会に是非読んでいただけますと幸いです!!!!!(なお本誌掲載時からは少し修正が入っているので、そういうの見比ベるのが好きな方はぜひ本誌の方も買っていただけると嬉しいです!)(そういう人はこんなところで宣伝しなくても買ってるか)

また、アプリPalcyから無料で読むこともできます!

palcy.jp

(ちなみに公式がこのアプリを推奨しているのは出版社の都合上かと思われます。PalcyはK談社とPi○ivが共同で開発したK談社女性向け特化のアプリなので……)(やっぱり本でほしい!それまでお金を出すのは厳しい!!という方はここで読んでいただけると嬉しいです)(講D社損切りが早すぎるのがつらいので需要を示したい必死の本オタク)(紙出るとは思ってますが「楽しみにしてたんだよ!」ってダイレクトに伝わるのはやっぱりアクセス数と反応と売上なので…)

とりあえず読んで!!!!!!!!もう読んでる?ありがとう!!!!!!

今回の本は紙で出るとは思っていますが、次回(Loulou*diのコミカライズも見たいです)(INCOMPLICAのコミカライズも……シリーズ終わってからでいいから……)の可能性をつなぐためにもぜひ……

以上失礼しました。

私の心構えについて

マガジンエッジ10月号発売の前日(9/16)は灯堂理人の誕生日である。前回の記事を見ればわかるように、私はPain In My Heartのインストについての感想を書き綴った。しかしその胸中は日付変更が近づくに連れどんどんざわついていく。理人の誕生日を心から祝いたいのに、23時からの1時間はもう何も手につかなかった。当方、Anthosについては箱好きを主張しているもののあえて1人を選ぶなら眞紘の担当と声を上げる人間である。満を持しての担当お当番回、時系列から言えばちょうど5巻にあたるとわかっていて、冷静でいられるほどできていない。

全然モンダイナイヨ……ワタシツヨイカラ……

本誌感想

凌駕回での予測は大外れだったが、それ以上にきつすぎてどうでも良くなってしまった。端的に言ってしまえば、5巻For…冒頭の眞紘が寮を出ていくまでの話だ。ただでさえドラマパートでしんどすぎた展開の裏側を見せられて辛くないオタクはいない。マガジンエッジが発売されてかなりの日が経つが、未だに感情の整理がついていない。ようやく少しだけ言葉をまとめる余裕が出てきたので筆をとっている。

眞紘にとって笑顔は呪いだ。以前からTwitter等で言っていたことではあるし、Floweringを通った人間ならおそらく一度は考えることだと思う。

眞紘は明るくて優しくて素直で努力家で、みんなに好かれるいい子だから。

(華Doll*1st season ~Flowering~5巻 「For... 」Project Archive1-23)

For…の夢の中で提示された智紘の発言が、今のいい子でよく笑う眞紘を作り上げる要因の一つになった。兄の期待に応えたいから。兄に褒めてもらいたいから。いつしかそれは眞紘の役割になり、重圧になり、呪いと化した。例え智紘がいなくなっても。

眞紘の中で智紘の記憶は大切な思い出だが、同時に彼という存在は眞紘にとっての重圧でしかない。上記にあげたドラマパート内で眞紘と夢の中の智紘がする会話は、全て眞紘が思っていた本心だろう。いちばん大切な人だったのに、いちばん眞紘を束縛しているのが智紘だ。眞紘が許しを請うように役割の放棄を願っても、貼り付いた面は肉に取り付いて離れない。

義務はないのかもしれないけれど、頑張りたくなるよ。期待してくれた誰かにがっかりされたくないじゃん。
誰かって誰のこと。(中略)ぼくだったら、誰だかわかんない人のために頑張るより、みんなのために頑張りたいな。

(華Doll*1st season ~Flowering~5巻 「For... 」Project Archive1-22)

智紘はもう、「期待してくれた誰か」でしかない。

眞紘はもういない兄のために頑張っていることを理解していた。とっくに夢なんてなくなっていたのに、彼は智紘に縛られるように生きている。いったいこれが呪いでなくてなんと言えようか。人を思う気持ちは祝にも呪にもなるとはよく言ったものだが、智紘のそれは辛くも後者になってしまった。彼が亡くなってしまった、そればかりに。

そして今、大切なみんなを守りたいがために眞紘はまた独りを選ぶ決断をしようとしている。それは見えない「誰か」の呪いであり、いなくなってしまった「智紘」の呪いからの選択だ。

今の眞紘に必要なものは、呪いを言祝ぎに変える力である。それはこの場合、無条件に与えられていた、智紘という居場所からの脱却だ。そこは大切な場所で、もう失われていて、温かいと同時に苦しい場所だった。

しかし今、眞紘にはAnthosという居場所がある。そこは眞紘を何よりも大切に思って、眞紘が兄と同じくらい大切に思って、彼が自ら選択して掴んだ居場所である。

眞紘がずっと求めてきた、「僕を僕として必要としてくれる人(場所)」だ。

生者は死者に思いを馳せて良いが、囚われてはならない。生者はあくまで生者の世界で生きなければならない。眞紘を連れ戻すために打つ手札を、Anthosのメンバーはもう持っている。

今後どうなるかはFor…で示されているとおりであるため、心配はしていないが、眞紘が諦めてしまったきっかけが丁寧に描かれたことをありがたく思っている。実質5巻のコミカライズといっても差し支えないだろう(言いすぎかな)。次回がとうとう最終回となるが、良い結末となることを願っている。

矜持と愛のあり方【灯堂理人誕生日2021】

はじめに

灯堂理人さん、お誕生日おめでとうございます。
不器用ながらもメンバーやAntholicに誠実に向き合ってくれる姿が大好きです。理人さんのご健康を祈るとともに、2週間後の10/1に発売される「es」での歌声を楽しみにしております。

The Way I Amシリーズ開始から1年が経過したということで、ソロの順を追って曲の発売月に記事を書こうと思った次第です。具体的に歌詞の内容や歌自体については先達の方々がたくさんの思いをしたためていらっしゃると思うので、私はソロ曲のインストについて書きます。

一応趣味の範囲で作詞作曲とライブ活動を行っている身ですが、音楽用語に詳しいわけではないですし耳も良くないので取りこぼしが多いです。あくまで雰囲気で曲を聞いています。ただ、こういうふうにインストを聞いているAntholicもいるんだなくらいの認識でいていただけると幸いです。

各ジャンルで「インストがほしい!」と叫ぶインストオタクにとって、このThe Way I Amシリーズは歓喜ものでした(11月発売Bestアルバムに1stシーズン曲のインストが付くと聞いて泣いて喜んだオタク)。「天才すぎる……」と天を仰ぐもの、「こういう心情の現れかな……?」と考えさせられるもの、歌の下地に徹したものなど各所いろいろ勝手に考えていますが、こういう聞き方もあるんだと思ってインストにも耳を傾けてくださったらこれに勝る喜びはありません

Pain In My Heart

www.youtube.com

The Way I Amシリーズのトップバッターとして発表されたこの曲に初めて触れたのは、まだAnthosの曲オタクだったときのことだった。しかもYoutubeの公式チャンネルから聞いたわけでもない。

2020年9月21日。友人がある店に入ったとき、そこで流れていたのがこの曲だったとLINEをくれたことからだ。「なんか伊東健人さんみたいな声がする」そう考えて彼女はSiriに曲を聞かせたそうだ。そして、Siriが答えた結果が「灯堂理人(CV:伊東健人)の"Pain In My Heart"のように聞こえます」だった。

その頃にはすでにAnthosの曲にどっぷりとハマっていたため、これは報告しなければと私にすぐ知らせてくれたことに感謝したい。ただ、ソロはどうしてもキャラクターソングとしての感覚が強くなる傾向にあるため、当時理人のことについてプロフィール以上の知識を持っていなかった私はあまり聞く気がなかった。

試聴動画時点で、歌声担当の名前は伊達じゃないな……と思って終わった程度だ。(この時点でインストの素晴らしさが存分に出ていたのに気づかないとはオタク失格では?と今では思うが、彼の要素を把握せずに聞いていたのでそこは仕方ないと思ってほしい……。)

紆余曲折あり、ドラマパートを全て履修してようやく手を付けたソロシリーズでもう一度この曲を、次はフルとインストで聞いて私はひっくり返った。

先に結論を言ってしまおう。この曲のインストは、灯堂理人の歌、そして彼を表すための曲であると示すために織りなされたもののように思う。

ご存知の通り、灯堂理人はAnthos*の歌声担当だ。歌が主体のアイドルコンテンツで歌がうまいのは当然だろうと思うこともあるが、理人はその前提すらねじ伏せて自分が持つ担当としてのあり方を堂々と示している。それを如実に示しているのが1番Aメロのインストの動きだろう。

前奏からAメロに入った途端、リズムサウンドが鳴りを潜めてほぼシンセの音のみになる。それも派手に動くことはなく、基本的には全音符で和音を押さえるだけの静かなものだ。感覚としては、雨が降りだす前の涼やかな静けさに似ている。ほぼ一貫して鳴り続けるこのシンセの和音は、理人という単体の人間をイメージしているようにも聞こえる。

前奏の盛り上げから一転ここまでトラックを抜いたのは、ひとえに彼の歌を聴かせるために違いない。最低限の音の構成だけで、灯堂理人が持つ歌の素晴らしさが引き立つように作られている。聴かせる場所はサビやCメロであることが多いように思うが、あえてそれを歌いだしに持ってくることで「歌声担当」としてのあり方を最初に提示することになるのだ。

正直自分が歌うとしたら、ライブでこの音が耳から聞こえたら緊張してしまう気がする。クリック音が入る想定は付くが、リズムの標がない曲は相当の自信がないと気持ちを込めて歌うどころではない。それでも、迷わず真っ直ぐに歌を届ける理人のあり方だからこそ、このAメロインストが必要だ。

Bメロからは各種トラックが帰ってきて、理人の心中にも似ていたシンセの音にリズムが加わる。外的要因による変化とでもいうのが良いだろうか。静かな彼の音は次第に色彩を増し、鮮やかに色づき始める。リズムを刻む音たちは雨粒の比喩と思いたい。

サビの盛り上がりと音の複雑な絡み合いに対して、理人の歌を構成する音はかなり単純だ(決して簡単というわけではない)。1番サビ最初の"Pain In My Heart"では音がほとんどなくなり、この歌詞が強調されるようになっている。他の音が立ち消えて無音になる一瞬は誰しも曲を聞いた人はハッとするが、この曲ではその方法がサビ部分で何度も使われる。それは今示したサビ頭の無音と、曲の中で特に印象的と言っても良いフィンガーグリップだ。前奏で一度だけ鳴ったフィンガーグリップが三度も鳴る。そのたびに理人の歌声も、音も、ふっつりと途切れ、あとには一拍分の膨大な余白と余韻が残る。予測はできるものの確定はできない、メンバーの中でも開示されている情報が少ない理人の秘密がそこにあるようで、私はその音の隙間を鍵穴のように感じた。また、静かに和音を響かせ続けるシンセが何度も途切れることにより、うまく行かずに心乱される彼の胸中が表されているような気もする。

メロディが大きく動くCメロは理人の激情を表現する最大の部分と言っても良い。しかし、インストとしては1番Aメロのように歌を聴かせるフェイズではなくなっている。それは歌を聴かせるのではなく感情を届けるため、押し寄せる波のようなゆらぎを以て理人のメロディがもつ波を増幅させるためのものだ。いろんな層が揺らす波で音の奥行きがいっとう広い。そこに理人の抱える思いの深さ、大きさを溢れんばかりに詰め込んでいると思ってしまうのは、これまでのドラマパートを聞いてしまった人間のうがった考えだろうか。

ラスサビでやはり考えるのは、インストの交わりに対する理人の歌が何を示すかだ。個人的にそれは、理人の愛のあり方そのもののように思う。理人の愛は複雑なようでいて、その実真っ直ぐで単純だ。彼の愛を複雑にしているのは周りの環境であったり、素直になれない性格に起因していると考えているため、本人を差し置いて変わっていく現状や、それを変えられないもどかしさを感じるインストの動きは落ち着いているのにどこか大胆にきらびやかで複雑だ。芯が通った主旋律はそれでもなおまっすぐ聞く人の元に届く。

それこそが灯堂理人の歌であると伝えるように、曲は歌を後押ししている。

実のところ、この曲は理人の声が入って完成形だろうと考えていたので改めてインストに注目して言語化するのは楽しかった。Pain In My Heartのインストめっちゃいい。インストだけでどんだけ感想書いとんねんってレベルで良い。ぜひ聞いてほしい。もう聞いてる? さすが………

最後に

es収録曲Paradisoで彼はこの曲のテーマを「愛」と言っているが、このソロとどのような変化があるのかについてはまた後々考えてみたい。